やぶれ&かぶれ

ぼろぼろの人が主に職場で書く日記

「推し」ができた

気が付けばずいぶん何も書いていなかった。

その間何をしていたかというと…率直に言うと若い男にウツツを抜かしていた。いわゆる「推し」が出来たのだ。

今まで熱量の低い人生を送ってきており、広く浅くという感じで特別何にハマってます!というものはなかった。10代の頃、周りがSMAPだグレイだラルクだ盛り上がっている時もふーん、という感じで「誰が好きなの?」と言われても特に誰もいないものだから当時何となく感じが良いと思っていた「別所哲也」と答えたりしていた(別に不思議ちゃんを演じていたわけじゃないけれど今思えばそういう演出に見えていたかもしれない…急に恥ずかしくてたまらなくなってしまった)。そんな自分に今年、突然推しが降ってきた。

どこかで「推しは作るものではなく、ある日突然現れるもの」みたいな文を読んだがまさにその通りだった。ある日突然、キラキラの階段を推しが降りてきた。以前のブログにも書いたが、私の好きな男と言えばかまいたちの濱家のような顔でいわゆるイケメンには今まで悉くセンサーが反応しなかった。綺麗な顔だね…と思うだけ。それが私の推しときたら小さな顔にぱっちりした目と細い鼻、つるつるの肌と髪。まごうことなきイケメン。今までは何も感じないはずたったものに、綺麗さにぶん殴られている。「顔が綺麗」ということは私の中で今まであまり価値がないことだったけれど、推しの美しさを目の当たりにすると、綺麗に産み育ててくれた親御さん、周囲の人たちに感謝せずにはいられない。

推しを愛でる専門のTwitter、インスタ、TikTokのアカウントまで作ってしまった。でもTikTokは相変らず怖い。Twitterでは今まであまり接したことがなかったオタクの人たちと交流している。オタクの人たちは〇〇くんの二重の幅で眠りたいとか二重の幅に住みたいとかとにかく二重の幅が好きだ。そしてそれに「わかる」となってしまう自分が怖い。二重の男をこんなに好きになったことがない。

グッズも買った。推しの写真が印刷されたアクリルスタンドもある。はじめは「これどうすんの??」と思ったがかわいくてたまらない。ケースに入れて連れて歩いて写真を撮ったりしている。在宅勤務の時はパソコンの脇に置いたりしている。家で一人で飲酒するときも傍らに置く。涙が出るぐらい癒されるのだ。これを聞いて「気持ち悪」と思う人が多くいるだろうと思う。不快にさせてしまい申し訳ありません。実際友達にも「こわ」と言われたが「シルバニアファミリーを連れて歩くのと一緒だッ!」と一喝して事なきを得た。

自分や自分の周りの世界がすごい勢いで変化していくのを感じる。もうすぐ40歳になるのにこんなことになるとは思わなかった。昔から流れよう流されようの精神で大きな流れに抗わずやってきた。飽きっぽい自分なのでどこに流れ着くかはわからないけど、この濁流にもう少し飲まれていこうと思っている。

小さいバッグを持って出歩きたい

この頃服などはもっぱらネットで買っている。最近は服を着ているモデルの身長や体重も表記してあったりして、自分が着るイメージがしやすくなっており、届いて失敗ということもあまりない。ある時、このバッグいいじゃんと思って画像をクリックするとモデルがそれを持っている写真が出てきたのだが、実際に人がそれを持つ姿を見たら思ってたよりめちゃくちゃに小さくてびっくりしてしまった。「スマホと財布」すら入らなさそうな、スマホしか入らなさそうな。リカちゃん人形サイズは言い過ぎだが、着せ替え人形ぽぽちゃん用のグッズですと言われても納得してしまいそうなサイズ感だったのだ。

時代は小バッグなのである。確かにカードやスマホで大体の支払いはできるし、財布すらいらないのかもしれない。荷物をたくさん持つこと自体がダサいのかもしれない。わかってはいても不安すぎる自分がいる。スマホで支払いはできるかもしれないけど、たまにあるスマホの電池が異様に早く減る現象が今日その日に起こったら。何かの障害で突然スマホ決済やカードが使えなくなったら。というか大きい地震が起こったら。そう思うと財布など置いていけるわけがない。今のご時世、マスクを落とすなどしたら終わりで、ノーマスクで人のいる場所に行ったら石を投げられ罵詈雑言を浴びせられる。それを考えると予備のマスクも必要だ。あとアルコール除菌スプレー。どこ行っても置いてあるけど、たまたまアルコールが無い所で何か不潔なものに触ってしまう場面があるかもしれない。いきなりどこか痛くなるかもしれないから鎮痛剤も必要だ。いきなり喉が痛くなるかもしれないからのど飴も。そんなことをしていると必要な物だらけになってしまう。カバンの中は「突然」「たまたま」「かもしれない」でいっぱいだ。そもそも「おそらく起こりえない事」に対して過剰に備えてしまうのは、クラスで面倒な委員を決める20分の1のはずれくじを引いたり、普通に交通事故に遭ったり、皆何も起きていない時に自分だけ悪いことが起こることがよくあったからだ。たまに海や公園に遊びに行くと私だけにカモメやカラスのフンが落ちてくるのはどうしてなのか。小さいバッグを持つ人はこんな小さなあれこれに巻き込まれたことはなく、生い立ちから完全に私とは違うのかと思うと余計にあこがれてしまう。私も小さいバッグを持って出歩きたい。

運の悪さやどん臭さはもうどうしようもない。オシャレになるにはセンス以前に、容姿以前に、せめてこの不安を振り払う必要がある。マスクを落としたらその辺で買えばいい。のどが痛くなったら、鎮痛剤が必要になったらその時に買えばいいのである。毎日天気予報のアプリで時間ごとの降水確率をチェックし、にわか雨に備えて折り畳み傘を持っていくか否かについて熟考しているのはオシャレか?帰り道に雨に降られても「たまには雨に濡れて帰るのも良いじゃない?」って映画みたいなこと私も言ってみたい。昔のことをほじくりかえして思い出しては落ち込んで恥ずかしさに悶えたり、先のことをあれこれ考えて不安になる、後先考えまくりの人生を送ってまいりましたが、これから年をとって力も無くなってきますので余計なことを考えず身軽に生活していきたいのです。

まずは小さいバッグを買ってみようか。足りないものはコンビニで買えるじゃないか。そうだそうだ。そう思った瞬間、数年前ド田舎に住んでいた頃の記憶が蘇り「いや、そもそもトラブルの際コンビニが近くにあるのか?最寄りのコンビニが10㎞離れているということもあり得るぞ」という不安がポコッと沸いて出て、ジワーっとにじんで広がっていく。ぽぽちゃんサイズのバッグを持ち歩くのはまだまだ時間がかかりそうだ。

センチメンタルバスの大太鼓をいやらしい目で見ていた

好きな食べ物の話になった時に「寿司」や「焼肉」みたいなみんな大好き!的なやつよりも、「ごちそうというわけじゃないけどお店にあるとつい買っちゃうんだよな~」みたいな食べ物について聞けるとうれしくなる。具体的で細分的になるほどその人自身の好みが浮き上がってくるような気がするからだ。

それは好みのタイプの人についての話も同じだ。佐藤健山崎賢人がかっこいいのはわかる。寿司や焼肉だ。でも、ないだろうか?特別に容姿端麗というわけではないがすごく刺さるという人が。昔、会社の人と飲んでいた時に「卓球の石川佳純のルックスがめちゃくちゃタイプ」と話していた人がいたがまさにこの感じ。

 

聞かれていないのに勝手に言いますが私の好みの男性は長谷川博己です。誰が見ても大概カッコいいと思われるのでこれは寿司・焼肉カテゴリです。でも、別にカッコよくないけど何かタイプだわ~と思って見ている人がいる。かまいたちの濱家である。そしてふと思い返してみるとこういう人がちょくちょく現れているような気がする。思い出す。夏。39度の、とろけそうな日…。20年以上前のことだ。そうだ私はセンチメンタルバスの大太鼓の人が好きだった。皆さんセンチメンタルバスのことをご存じだろうか。アフロのボーカルの女の子と何だかよくわからない男性の二人組の音楽ユニットで、「39度の!とろけそうな日!」と歌う曲がポカリスエットだかカルピスウォーターだかの清涼飲料水のCMに使われていて、当時は結構ヒットしていたのだ。メンバーの男性は作曲などを担当していたのだと思うが、その曲ではなぜか大太鼓をガンガン叩いており、HEY!HEY!HEY!でもそれをダウンタウンにいじられていたような記憶がある。他の曲ではギターとかを弾いていたのかもしれないがいわゆる一発屋だったのでよくわからない。なのでその人は「センチメンタルバスの大太鼓」なのである。たまのランニング、ゆずのタンバリン、センチメンタルバスの大太鼓。ひょろっとした体格で、顔もそれといった特徴はない。友達がGLAYラルクに熱を上げていた時、私はひっそりとセンチメンタルバスの大太鼓に好意をよせていた。はっきり言ってかっこよくないので誰にも言えなかった。

何が良かったのだろう…。今になってあらためて考えてみる。かまいたち濱家、センチメンタルバスの大太鼓…。細身で背が高い人が好きというのはあるかもしれない。あとは何だ?顔。顔に何かある気がするのだ。

しばらく考えて私は気がついてしまった。歯がガタガタの人である。答え合わせのように今まで何となく好意を持った人の顔を思い出した。荻原次晴、中学の時の塾の先生、クドカン…。歯がガタガタの人ばかりではないか。こんな年齢になって、恋愛だのなんだのからは完全に引退した今になって好みの男性のタイプが明確に言語化されてしまった。「なんかわからないけどなんかいい」のぼんやりした所が急にめちゃくちゃハッキリし、そのビビッドさに頭をガンと殴られたようだ。

しかし少し寂しい所もある。ガタガタの歯は永遠ではないのだ。歯並びが悪いということは一般として欠点で、白く美しい歯並びに整えることは人前に出る仕事をしている人にとっては身だしなみとも言える。

かまいたちも歯をきれいにしてしまった。多分次晴もきれいにした。お金がないわけでもなかろうし、当然のことなのだ。それでもやはり自分が「ガタガタの歯の男性が好き」と気づいてしまったからにはどこか寂しい。

 

センチメンタルバスの大太鼓はどうしただろう。あの夏以来姿を見ていないけれど、歯を治したのだろうか。それぐらいのお金を何らかの形であの後も稼げているならいいな、と思いながら白く美しい歯を見せて笑うセンチメンタルバスの大太鼓の顔を想像し、やっぱり何か違うな~と思う春なのだった。

抜け毛の雨の中で見た世界

2020年の秋、髪の毛が大量に抜け始めた。秋と言えば経験上多少抜け毛が多くなる気がしていたが、今回のそれは見たことの無い量であった。アレ?そういえば最近…と思い始めたら日に日にその量が増していった。

シャンプー中に絡まった髪を手で梳くと、ズルズルと大量の毛が指に絡まってくるのが感触でわかる。手を見ると束になって抜けている。細い筆なら作れそうな量だ。ヒエーである。怖いのでなるべく手櫛を通さないように洗うも、排水溝に大量の髪が次々に吸い込まれていくのが見える。

もともと多い、太い、硬いの三拍子そろった髪質で、猫っ毛で少ない髪の人が羨ましかった。オシャレな人に剛毛はまずいないからである。何をしても野暮ったい髪を呪いはしたが、一方薄毛の心配などしたことがなく、むしろちょっと抜けた方が丁度いいと思うほどであった。しかしここまで抜けるとさすがに不安になってくる。分け目や頭頂部も以前より地肌が目立ち、前髪もスカスカになってきたような気がする。

私は慌ててハゲについて調べた。女のハゲにも薬はあることにはあるようだが、高いし一生飲み続けなければいけないというのが嫌なのでナシ。マッサージや栄養を補うサプリなど出来るだけのことをして、それでもダメならウィッグを着けようと決めた。薄毛に悩んでいる女性がいろいろなウィッグを着けてTwitterに写真をアップしたりしているのを見たらめちゃくちゃ自然でおしゃれで、逆に今の剛毛より格段に良い髪質になるのでその点で逆に不自然ではないかと思ってしまうぐらいだった。

覚悟は決めた。それでも髪は相変らず抜け続けた。家の床は私の髪の毛がそこらじゅうに落ちているし、シャンプーの時排水溝に落ちた髪を数えると毎日100本以上ある。調べると普通の人でも1日に50~100本程度抜けるらしいが、シャンプーの時に抜けるのはその7割程で、100本以上シャンプーで抜ける時は要注意とのことだった。たまに60本の日があっておお?と思っても次の日に150本抜けて落ち込む。覚悟を決めたつもりでも私の頭の中は髪の毛の事ばかりだった。

スマホを触る時間があると髪、髪、髪。髪のことばかり調べていた。すると一年間毎日シャンプーの抜け毛の量を数えて記録する人のブログを見つけた。世界は広い。その人は男性で、多毛でハゲではないそうだけれど、100本以上抜ける日もかなりあり、そのデータは私のかすかな希望を照らした。

あと、5ちゃんねるのハゲ・ズラ板にも行ってしまった。「髪の薄い芸能人」スレでは、その名の通り髪の薄い芸能人の画像が貼られ皆でああだこうだ言うのだが、ハゲを笑ったり馬鹿にしたりはあまりない。こうやってセットすれば目立たないのに、とか、こういう髪質の人はどこどこから抜けてくるなぜなら自分がそうだから、みたいなことを言う。その中ではちょいちょい多毛の中高年の有名人の画像が貼られ「こんだけドフサだったら人生何の悩みも無かっただろう」「この年齢でこれだけドフサならもう人生勝ちだ」などと言ったりする。挙句の果てには、髪の豊かな中高年有名人の写真を貼っては「ドフサ判定お願いします」などと言うのである。もう「髪の豊かな有名人」スレである。皆、髪に焦がれている。大学生の頃、夜にお腹が減るとISDN回線でつないだインターネットでファミレスのメニューやコンビニの新商品情報をただ見るというのを何時間も何時間もやっていたけれど、それと似たようなものなのではないかと思う。

 

出来ることは一通りやってみた。タンパク質を意識的に多く摂取し、頭皮を冷やさないようにドライヤーでちゃんと髪を乾かした(大変ズボラで申し上げにくいのだけど長らく髪は自然乾燥で過ごしていた)。マッサージもした。あと、前にツイッターでシャンプーの前にぬるま湯を2、3分浴び続けると髪に良いと見たのを思い出し、滝行のごとくぬるま湯シャワーを頭皮に打ち続けた。この刺激がいつか発毛の萌芽となると信じて。

そんな日が何カ月かつづいて、もちろん多少ブレはするが抜け毛が100本以上→100本前後→80本とゆっくりと減ってきた。シャンプーやドライヤーの時にも抜け毛が減ってきたかもしれないという実感もわずかに出てきた。

その実感とともに、抜け毛を数える習慣が減っていった。ふと思い立って数えてみても30本ぐらいなのだった。

そして2月、3月になり、地肌はまだ目立つ感じがするが抜け毛は以前の水準に戻りほとんど気にならなくなった。あの激しい抜け毛が加齢によるものなのか秋の定例抜け毛のパワーアップバージョンだったのか、栄養や生活によるものだったのかはわからない。私は抜けた髪を排水溝のアミから取り出して数えることはなくなった。でも髪が濡れっぱなしだと普通に寒いなということに気が付いたし、シャワーでの滝行やマッサージは気持ちいいので、髪を生やすために試した色々なことはその心地よさからわりと毎日の習慣となった。そしてなぜか5chの「髪の薄い芸能人スレ」で髪の豊かな有名人を見ることも習慣として残った。これもまた、私にとって心地よいものだったのだろうか。

インターネット・カマトトおばさん

あけましておめでとうございます。

さて、私はグラム2という名前でTwitterをやっています(※1)。最近、Twitterを始めてもう7年も経っていることを知って大変たまげた。といっても大変細々とかろうじて存続しているアカウントであり、実際の稼働日数に換算すれば5日ぐらいかもしれない。子供の話は出てくるが育児アカウントでもない、おもしろ発信アカウントでもない、痛快な一言をいうわけでもない、たまに身の回りのことをつぶやいて5個ぐらいのいいねがつく。フォロワーもはっきり言って多くはないが、こんなアカウントをフォローしていてくれている人がこんなにもいるのかという思いもある。皆様いつもありがとうございます。

 

もともとインターネットのことはよくわからなかった。結婚してすぐ夫が地方に飛ばされ、それを機に仕事をやめた私は田舎でぐずぐずしていた。そんな折、「暇してるだろうから」と幼なじみの友人がハイエナズクラブのzukkiniさんを紹介してくれ、よくわからないままハイエナズクラブに地方あるある的な4コマ漫画を描いた(※2)。ブログやツイッター、その他一切の文化的活動をしていない私がどうして記事を書かせてもらったりしたのかは未だに謎であるが、こんな得体の知れない人物を受け入れてくれたzukkiniさんやハイエナズクラブの方々の懐の深さには感謝するばかりである。

当時の私は、検索とネットショッピング、アットコスメぐらいしかインターネットをしてなかったのでオモコロ?デイリーポータル??はて???状態で、ハイエナズクラブで記事を公開するにあたりTwitterアカウントを作ったのだが、「これがインターネットの世界…」とその広大さに驚いたものだった。はじめはちょっとはしゃいでいろいろリツイートしてみたりリプライなどしてみたりしたが、しばらくすると「インターネットのこと何も知らないのに、いきなりそれを手にしてはしゃぐのって相当イタイのでは?」と冷静になり、ツイートの頻度もぐっと減った。ハッシュタグを付けたりも「インターネットのこと何も知らないのにハッシュタグなどつけたら相当イタイのでは?」と考えてしまいできなかった(今でもためらいがある)。ハッシュタグ?はて何ですか?私はインターネットのこと何も知らないので…というスタンスを取るのが正解というか安全な気がしていたからだ。

 

しかし、もうTwitterを始めて7年。最近はツイートせずともほぼ毎日タイムラインを眺めている。こうやってブログなんかも書いちゃっている。この間見た夢、テレビを見ていたらタレントが話すエピソードが私がツイートしようと思っていた内容と全く同じで私が「やめて、もうそれ以上言わないで、ツイートできなくなる…!」みたいになるというものだった。気持ちわる!インターネットの浅瀬でちゃぷちゃぷやっているつもりだったが、もう腰のあたりまで浸かっている。インターネットのこと何も知りませんし…といくら言っていても、私はもう立派なインターネットおばさんなのだ。

 

人からどう見られてるかを気にして気にしまくって生きてきて、このブログでも私のそういう生態をポロポロとつづってきた。しかしここはインターネットだ。私の姿かたちを知らない人がほとんどで、皆私がインターネットに通じてるかそうでないのかなんて知ったこっちゃないのである。インターネットカマトトおばさんはそろそろやめようと思う。私には特殊な趣味も技能もないけれど、ここはインターネットなのでどうふるまったって良いのだ。何となくこれからはもっと生々しいというか人の形が見えることを発信したいなと思っている。だから「昼メシ食べました」とか「くそわろた」みたいなしょうもないことを言い出すかもしれないけど皆様にはどうかご容赦いただきたい。ここはインターネットなので…。

 

(※1)私のTwitterです

グラム2さん (@g2niguramu) / Twitter

 

(※2)ハイエナズクラブで描いた漫画などです

匿名希望グラム2 | ハイエナズクラブ (hyenasclubs.org)

 

 

料理の名前

食事の時私が作ったものを「これ何て言う料理?」と子供に訊かれてウッと言葉に詰まってしまった。何と言われても肉と野菜を適当に味付けした名もなき料理なのである。「豚肉と豆苗と卵の炒め物…かな…??」などとぼんやりした事しか言えず、子供もフーンそうなんだという感じで何のインプレッションも与えられなかった。

ここで、「ふわふわ卵と豚肉と豆苗のうま塩中華炒め」と言えない自分がいるのだ。自分が作る料理は大したものではないが決して不味くない部類だと思っている。でも、料理に名前を付ける時に「美味しいっぽい」ことを言うのにものすごく抵抗がある。自分で食べてみて美味しいと思っても、他人が食べる前に「これ美味しいよ」とアピールする自信が無いのである。

しかしクックパッドなどを見ると「うまうま炒め」とか「しみしみ煮」とか「ジューシーなんとか」とか、美味しそうな言葉であふれている。昔からある「うま煮」も、要するにただの煮物であるのに「美味しく召し上がっていただけます」という自信その一点から「煮物」ではなく「うま煮」と名乗っている。私に無い自信に満ち溢れており実にまぶしい。嫌味ではなく、心底うらやましいのである。そもそも「〇〇の炒め物」とか言ってる時点でダメなのだ。別にうまうま炒めでなくとも「〇〇の塩炒め」とか「〇〇のにんにく炒め」とか言いきった方がビジョンが明確である。逃げ場を作れるように曖昧な言い方をして結局ダメな感じになっているのだ。書いていて悲しくなってくるがこの手合いのこと自分の人生でめちゃくちゃあるあるなのである。もっとはっきりしたい。もっと言い切りたい。

 

私の職場はたいていいつも日テレがついているので自然とキューピー三分クッキングのヘビーウォッチャーとなってしまうのだが、ここで出てくる料理は「豚肉ときのこのソース炒め」とか「なんとかのケチャップ炒め」とかビジョンははっきりしている一方、何か…控えめというか、飾りっ気が無さすぎると感じることがままある。何もソースオンリーで炒めてるわけじゃないんだし、これはもっと言い方があるのでは??と思ってしまう。でもその無骨さが逆に自信にも見えるから不思議だ。キューピー三分クッキングのブランド力もあるかもしれない。

うまうまやしみしみのように「これ美味しいよ!」とまでは言えなくてもせめて「これはこういうものなんです!!」と言い切ってみようと思う。もっとはっきりしたい。

体調不良と再生

体調を崩した。

 

少し前の土曜日、昼間から何となくだるかったが、出産してからというもの毎日例外なくだるいので暑さのせいかと思っていた。しかし、土曜夜恒例の家族が寝静まってからの酒タイム。どうにも酒がすすまないのである。おまけに目の奥が何となく熱い。まさかと思い熱を測ると37.5℃。ウッ…。多分部屋が暑いせいだ…と誤魔化しながら寝た。

翌日も微熱があり、加えて下痢と倦怠感があったので一日寝ていた。この時期に体調不良となると当然コロナでは…?という疑念が自然発生してくる。自分の症状で検索しまくったが、コロナウイルス感染時の症状は非常に多様であり、あてはまっているといえばあてはまっているし、違っているといえば違っている。不安ゆえの検索なのだが、安心材料になることは決してなく、今思えば全く無駄な時間だった。

とにかく不安だった。

もし私がコロナだったら、子供は学校でいじめられはしないだろうか。

もし私がホテル療養や入院となったら必要なものは何だろうか。

とりあえず今の寝間着がダサすぎる(母親からもらった蛍光イエローのフジテレビのTシャツとムーミン柄の紫のリラコ)ので少なくとも何かパジャマを買わなくてはならない…。

 

そんなことをしているうちにあっという間に夕方。何か飲もうとリビングに行くとざわざわと鳥肌が立つ。「なんかエアコンきつくない?」と家族に話しているうちにどんどん寒くなり、5分ぐらいで歯がガチガチいうほど震えてきた。 これが噂に聞く悪寒というものでは…?あっという間に熱が39℃になり、これはコロナもあれだが普通にしんどいので何とかしたいと思い明日受診出来そうな病院をネットで探した。

 

次の日も朝から38℃あった。とりあえずコロナか否かは決着を付けたいので医者に何と言われても食い下がってPCR検査をしてもらおうという強い意志を持ち、近くの病院の発熱外来を受診する。熱がある人は裏にある救急受付から入るよう事前に言われていたのでそのようにしたら待合室は人で一杯だった。普段なら密!怖い怖い!と退散必至の人口密度であったがこの時点で自分は8割方コロナだと思っていたのでどんと来いの心境であった。受付時に体温を測ると39.2℃。いいぞ。いや、全然よくないのだが、熱が高い方が確実にPCR検査を受けられると思ったのでもっといけ体温、という感じである。待っているとあちこちでPCR検査は明日この時間に駐車場の所に来てください、というようなことを言われている患者がいた。今日は検査してくれないのか、と思ったが、巷でよく聞く「具合が悪くてもPCR検査をしてもらえない」というような噂は私が受診した病院においては違っているなと感じた。

 

そしていよいよ診察室に呼ばれた。受付時に書いた問診票を見て「咳や喉の痛みはないのですか?」と聞かれた。「無いです。下痢と熱がひどいです。」と言うとベッドに寝るよう促されお腹を押されて触診をされた。その時、押された下腹がぐっと痛んだのでその旨訴えると「腸炎ですね」と医者。断定めいた言い方に面食らい、「コロナじゃないんですか?」と食い下がると「咳や喉の痛み、味覚・嗅覚障害が無いのでコロナではないと思います。内科に回ってください。」と清々しいまでにコロナを否定し、テキパキと内科受診の段取りをしてくれた。待合室の様子を見た限りではPCR検査を渋っている診療体制には見えなかったので、その中で検査が不要と判断された私は本当にコロナウイルス感染の線はほぼ無いのだと思った。

 

内科では検査でめでたく?細菌感染症であると診断され、抗生物質をもらい帰宅した。

抗生物質の効き目はすばらしく、次の日には熱も下がった。しかし、下痢がひどく食欲が全くない。外食時には味や値段もさることながら「量が足りなくはないか?」ということをひどく気にするこの私が、全く食べ物を受け付けなくなったので自分でもビックリであった。ポカリばかり飲んでいたのでしょっぱいものが食べたい…とチップスターをたった2枚食べたのだがそれだけで「今!胃に良くないものが入りましたー!!!」と言わんばかりに身体が反応して吐き気と冷や汗がドワーっと出るのである。どうなっちゃったんだ。もう離乳食しか食べられないのではないか…?洋画で「ママの腹から出直して来な!」的なセリフがありそうだが、今の私は「離乳食からやり直して来な!」状態であり、その言葉にも「はいそうします…。」と全面的に受け入れるしかない。

私の消化機能は完全に赤ちゃんになった。1歳児の方が私よりまだ食べられるだろう。絶望の中、それでもゼリー少し、アイス少し、味噌汁などからはじめて少しずつ固形分を取るようになった。離乳食のステップを体調の回復とともに三日ほどで修了し、普段の生活が戻ってきた。

 

体調が回復すると、いつもの通勤や買い物の時の風景、コンビニに並ぶアイスやスイーツが輝いて見えた。離乳食からやり直して、わたしは生まれ変わったのかもしれない。少しでも長くこの新しい世界を見ていたい。

そう思ったが、日常は思った以上のスピードでまた私を飲み込み、職場近くの中華屋の脂っこい500円弁当を掻き込む日々があっという間に戻ってきた。そして、「いったんゼロになった」唯一の証であった減った体重も元に戻り、全てが幻のように思えた。

 

しかしそれでも、「いつ入院してもいいようにせめて人に見せられるパジャマにしておかなければいけない」という学びは確かのものとして私の心に残っていたのだった。